保育士になってよかったこと②

前回は初めて名前を呼ばれて大喜びした話でしたね(笑)さ、今回もお話していきましょう。

 

2.「Mちゃんはリス組の先生になるっ」

 

Mちゃんは妙に賢くてでもちょっと意地悪で、とても可愛くて私は好きだったんですが慣れるまでにとても大変でした(笑)

2月、ぶくぶくうがいをする時に突然その子が言ったのです。

「Mちゃんはリス組の先生になる」

私はあまりの突然さに「え!?」と声を荒らげてしまったのですが、1年目の私にとってそれはかけがえのない言葉でした。

「どうしてなりたいの?」

と聞いたら今まで散々反抗していたMちゃんが

「○○先生がすきだから!!」

と言ったのです(笑)

この上ない幸せでした。忘れられない一言です。

私は物凄く嬉しくて、あ、こうやって将来の夢に繋がって行くんだなと感じたのです。

きっと、この一言はこの先も忘れることがないし、この1年怒涛の日々だったけどそれが報われた日だなと感じました。

他にも保護者の方から「先生聞いてくださいよ、この子、○○先生みたいになりたいって言ったんですよ」と、とても嬉しそうにお話をしてくださいました。

あるひとりの保護者の方がとても謙虚な方である日私に言ったのです。

「いつもいつもこの子を見てくださってありがとうございます。私たちよりも長い時間を過ごしてくださってることに感謝してもしきれません。来年も先生がいいなと心から思ってます。」

その一言は思い出すだけでも泣けてきます。

1年目でこんなことを言ってくださる保護者がいるんだ、私が毎日この子達に関わってきたことは間違いじゃなかったし、愛情をこれ以上ないってくらい注いできたのは大丈夫だったんだな、と再確認する言葉でした。

保育士になってよかったことは思い出せばきっと他にも出てくると思います。その中でも印象に残ったことは以上の2つになります。

嫌なことが多い職種でもあるけど、その分子どもが助けてくれることは間違いのない職種であると感じます。

魅力は伝えきれないけれどやってきてることは間違っていないと思うし、1度仕事を辞めたとしてもきっとまたこの職種を選ぶと思います。

だってこんなにも素敵な言葉を言われたら戻りたくもなりますよ(笑)

次は、また学生の頃に戻って【留学時代】についてお話をしようと思っています。

留学したことで得たこと、留学のときの思い出、パスポート事件など(笑)

ぜひまた次回もご覧下さいっ!

保育士になってよかったこと①

前回までは保育士になりたくなかった理由を①〜③までお話をさせて頂きました。保育士って給料少ないし精神的にやられるしやらない方がいいじゃんって私ですら思ったんですけど実は意外とそんなことも無いんですよ。

今回は保育士になってよかったこと2つをお話したいと思います。

1.クラスの子どもに初めて名前を呼ばれたこと

1年目、晴れて正規職員となり2歳児を受け持ちました。そのクラスは1歳の時から所謂問題児クラスでした(笑)最初の3ヶ月は子どもがなれるところか、「先生は嫌!」「あっちいって!」まるで彼女に振られるかのような日々を過ごしていました。メンタルが激弱な私にとって(あー、もう辞めたい)としか思ってませんでした。子どもに好かれないってことは保育士に向いていないんだとしか思わなかったからです。しかし、6月の中旬、毎日辛い日々が続いていたんですが、転機が訪れたのです。

外に出る際、靴下を履くのですが、靴下が履けなくて困っていた女の子。私は他の子をみていたのですが、周りに先生は私しかいない、ほかの先生は構ってくれないと分かったのでしょうか。

「(私の名前)先生」とその女の子に名前を呼ばれたのです。

人生で1番喜びました。初めてその日嬉し泣きしたのです。思い出すだけで今も泣けてきます。

その日からまるで人が変わったかのように毎日仕事に行くのが楽しくなりました。

この1年間は濃くて人生で1番充実していたと思います。

人懐っこい子どもも沢山いたしなによりわんぱくな子どもたちばかりでした。問題児クラスって言うけど確かにそういうこともあったし妙に賢かったから大人が顔負けすることもあったけど、私はこのクラスほど愛せるクラスはないと思っています。

3歳になった今も、子どもたちは「○○先生!」と駆け寄ってくれたり、中には「もう!○○先生聞いてよ!」とまるで友達のように駆け寄ってきてくれたりしてくれます(笑)

たくさんの事を色々と学び、1年目は本当に辛かったけどクラスの先生に1番助けられたので1年間はきちんとやり続けられたかな、と思います。

上司とは1年目の時は毎日のように戦ったり、文句行ったり、初めてにしては自分の方が問題児だったんじゃないかなって思います(笑)

次の記事では保育士になってよかったこと2つ目をお話したいと思います。保育士もそんなに悪くないしただの自己満でしかないけど、いいものだなって思って頂けたら嬉しいです。

保育士になりたくなかった理由③

①②を見ていただいてからご覧下さい。

さあ、最後の理由ですね。

3.給料と仕事が見合っていないから

保育士という職業はいわば【子どもの命を預かる】ことなのです。それに対して給料は初任給は20万もありません。バイトしていた頃の方が沢山稼いでたという友達も多くいました。

例えば、正規職員で働いていたとします。

自分がお休みの日に子どもが大怪我をしました。怪我をさせたのは臨職です。責任は誰にあるのでしょう。大抵の人は【臨職さん】と答えると思います。でも実際は違うのです。

正規職員が責任を取らないといけないのです。もちろん、臨職と正規のお金は違うし、責任の量も違います。正規職員でも責任は持っています。でもそれはプライベートを犠牲にしてまでということではないと思うのです。

私は以前園長に聞いたことがあります。「休み中に事故が起きた場合でも正規職員が責任を取るのですか?」と素朴な疑問を投げかけました。するとこう返ってきたのです。「自分が担当してるクラスだから責任くらいは持たないといけないよね、たとえ休んでいたとしても。」と返ってきたのです。確かに自分のクラスの子が怪我をしたら責任を持つのは自分、でも状況も何も知らないのに親にごめんなさいと謝るのと状況を把握して謝るのとではわけが違います。

危険と隣り合わせであるにも関わらず給料が低く、体調も、精神も日々削られて行くことを見据えていたからこそ私はなりたくなかったのです。

①でも書いたように母が憔悴しきっていた、の裏にはこういうことがあったのです。毎日精神的に気持ちを削られてそれでも日々生きていたのです。そんな辛い姿を将来の自分がなるってわかっていてなりたいと思いますか?

これが私が保育士になりたくなかった理由の全貌です。たまに、園に就職して聞かれることがあります。「どうして保育士になろうと思ったの?」

その答えはいつも表上は「母が保育士なのでなりたかった」と答えていますが裏では違います。「消えない職業で、安定しているから」です。もし、やりたいことが見つかったら私は直ぐに保育士を辞めると思います。ここに未練もなければ責任をもってまでやりたい職業ではないからです。

お世辞でも保育士になることをお勧めすることは出来ないですが、次回は保育士になって初めて良かったことを書きたいと思います。

(番外編で、短大時代の海外留学についても書こうかなと思ってます!)

きっと、保育士になりたい人は多くいるしその人を応援したい気持ちはあります。どうか、いい園に恵まれますように、ただそればかりを願っています。

【番外編】保育の短大時代について

現在私は保育士として働いていますが、事情があり今は仕事を休んでいます。それもまた別で書いていきたいと思います。

今回は番外編【保育の短大時代について】です。

保育の短大はどんな感じなんだろうと思う人も多くいると思います。結論からいうと【めちゃくちゃ大変】です(笑)

なぜ大変なのか、2つあります。

1.授業数が多い

2.実習がぎっしり詰め込まれている

これは短大の宿命なのかもしれないですね。

1.授業数が多い

これはそのままですが、普通の4大であれば、1年目に多く授業に出席すれば3年、4年はインターンや、バイト、遊びで済むと思います。ですが、短大の場合は通常4大の授業数を2年で修めないといけないので1日4コマ、5コマなんて当たり前でした(笑)

ちなみに、私が住んでたところから大学の通学時間は1時間以上でそれすらもとてもしんどかったのです。

なので短大生がバイトをするなんてほとんど不可能に近かったのです。(要領がいい子は上手にやっていたのですが、持病持ちの私は体力があまりなかったので出来ませんでした。)

特に保育は実習があります。

2年のうちで5回(保育園実習2回、幼稚園実習2回、施設実習1回)ありました。短大の思い出はなんですか?と言われれば【実習】です(笑)

2.実習がぎっしり詰め込まれている

短大の思い出それはいい意味でも悪い意味でも【実習】になります。なぜ、実習がいい意味でも悪い意味でもなすのか。

悪い意味では【いい実習園に当たる確率が半分だから】【保育の闇が見える瞬間だから】です。

いい園に当たる確率が半分なのは何故か、それは、実際に体験しないと分からないところばかりだからです。

私の大学は県内では有名な所だったのでいい園に巡り会える確率の方が高かったですが、ほかの友達は実習園で虐められたりそれをきっかけで保育士の道を諦めた子も多くいます。

保育の闇が見える瞬間、それは何故か。

私が初めに実習した園でとても良くしてもらった先生がいました。その当時は4歳の担任をしていて、まさに、先生が子どもたちを精一杯愛したからこそとてもいい子たちばかりだったと実感させられる実習だったのです。しかし、何がきっかけだったのか分からないのですが、休憩時間が終わり、勤務も終わり園長に挨拶に行った際、私に良くしてくれた先生が園長と二人で話しをしていたのです。しかも、その先生の目には涙が流れていました。

実際そこの園はみんながピリピリした状態であまりいいところではなかったのです。早く実習を終えたい気持ちでいっぱいでした。怖い臨職の先生に当たって八つ当たりされることも多くありました。(最後の日は厳しくしていた理由を教えてくれたのでスッキリして終えましたけど(笑))

色々なことが見える瞬間でしたねぇ、、

でも、実習は悪い事ばかりではありません。

私は幼稚園にとても恵まれました。

3歳クラスと4歳クラスにはいったのですが3歳クラスでは主任の先生が担当で指導方法、子どもの関わり方をみていたのですがなにもかもすごくてそこで得られるものは沢山ありました。ベテランっていうのもあったんですけどね……

4歳クラスでは2年目の先生が担当でした。実習でたくさんミスをしてその度に毎回泣いていたのですが、子どもたちはとても素直でした。子どもたちが「先生!遊ぼう!」「先生、これあげる!」と言ってプレゼントをくれることがほとんどでした。

中にはひまわりの種をくれた子もいました(笑)

保育士になるにあたって子どもの力は絶大だということが身に染みてわかった瞬間でしたね。

そんなこんなで、いろんなことがあってついに就職することになったのです。

次は保育士になりたくなかった理由③をお伝えします。

保育士になりたくなかった理由②

①を見て頂いてからこちらをご覧下さい。

今回はこちらについて詳しくお話をしていきたいと思います。


2.海外の仕事に就く予定だったから


え、突然海外?って思いましたよね(笑)何故、海外の仕事に就く予定だったのか、それは私の小さい頃からの習い事に関係してくるのです。

私が3歳の頃、母が「英語教室行ってみない?」とその一言がきっかけでした。私の時代は習い事ブームで、私は、ダンス、水泳、書道、英語、体操教室等、多くの習い事をしていました。

その中でも英語だけは高校に行ってからもずっと続けていた習い事のひとつです。

初めは幼児にもわかるような可愛い本の冊子で授業を受けていました。先生の友達である海外の大人の人とも関わることが増えていました。その時の思い出は未だに覚えています。

その時私は【きっと海外の道に進む】と小さい頃ながらに考えていました。基本的に個別で指導を受けていたので自分のペースで進んでいました。ただ、飽きっぽい性格だったのでずるをしたり、仮病を使ったり悪いことばっかしていました(笑)

毎週英語に行くのが嫌だってなってもなんだかんだ英語だけは10年以上も通っていたので相当好きだったんだと思います。

少し自慢話になるのですが、小学校の時の英会話は満点、中学の英語もほぼ上位、高校も上位をキープしていたくらいには英語だけはずば抜けて良かったのです。高校のスピーチコンテストにもでました(笑)

大学も英語専攻のところに行こうと考えていたのですが、事態は急変したのです。

私は大学で4年間通うよりも短大で学んで直ぐに就職してお金が入ることを目標としていたのですが、私が行きたかった英語科の短大がわたしが入る代で4大と合併することになったのです。

前回の記事にも書いてあるとおり私の家は母子家庭なのでお金に余裕など全くありません。

私立の4大にいくとなると多くの費用がかかり、奨学金返済も多くなってしまうので自分が苦しくなるのは嫌だと思い4大は最初から考えていなかったのです。

この時私は人生の岐路を選ぶ位置にたっていました。

この先、

英語の道に進むのか、安定した道に進むのか

高校3年の前期までめちゃくちゃ悩んでいました。安定した道を進むなら母がしている保育士になるしかないとこの時頭をよぎったのです。

高校の先生にも県外にいけば海外の学校は沢山ある。そっちも考えていいんじゃないか。と言われたこともありました。悩む理由は他にもあります。

【自分が英語で食べて行ける自信がない】

と思ったからです。特別秀才なわけでもずば抜けてるわけでもなかったのが段々と認識していったのです。

祖父母や母からも「食べていける自信が無いのなら保育の学校に行くべきだ」と言われ、私は自分の意思に負けて行くことになります。

私はこの選択をしたとき正直なところ不服だったのです。なぜなら私は将来、海外の仕事に就く予定でいたからです。

特別な才能がないにしても好きなことをして自分を信じて進むべきだったと後悔してます。

なのでこの時も保育士になりたいとは微塵も思わなかったのです。

次回は3.給料が仕事に見合っていないから

の前に私の大学時代についてお話をしたいと思います。そこで少しづつ保育士になっていくことを決意していくのでそちらもご覧下さい。


保育士になりたくなかった理由①

まず結論からいうと、私は保育士になりたくありませんでした(笑)

理由は3つあります。

1.母が保育士だったから

2.海外の仕事に付く予定だったから

3.給料が仕事に見合ってないから

どこにでもある理由かもしれないですね。

私がなりたくなかった理由を1つずつ話していきたいと思います。

1.母が保育士だったから

何故、母が保育士だったからなりたくなかったのか。理由は簡単です。

【母が毎日仕事に行き憔悴している姿をみてたから】

母はもともと獣医になりたかったそうですが、大学の見学で子どもと触れ合うのが楽しかったみたいで保育士になることを決意しました。

確かに保育士になる理由の一つとして、大学の見学や、多くは子どもの頃に幼稚園や保育園の先生に影響されて等の意見があると思います。

母はそのひとつだったんですね。

なぜ、母が仕事に行って帰ってくると憔悴していたのか、理由は簡単です。

【ブラック保育園】だったのです。

毎日朝は7時には出て、帰ってくるのは酷いときで夜10時を超えていました。もう労働基準法の無視もいいところですよね。それでも母は5年もそこで働いていました。

毎日頑張っているのに給料は少なく、ましてや酷い時はボーナスなんてほぼないって言っていました。

そんな姿を目の当たりにしてるので【保育士になりたくない】と思うようになりました。私は逃げるように違うことに没頭し学生の時は数えきれないほど習い事をして飽きたらやめて暇な時は思い出す、みたいな日々を過ごしていました。

保育士の母親は子育ても上手でいい子に育っているんだろうというレッテルも貼られていました。確かに母は毎日仕事をしながらも家事をこなしていましたが、私は小さい頃の母との思い出はほとんどありません。思い出すのは母と喧嘩したこと、家出したこと、マイナスなことしかでてきません。それくらい小さい頃、母は仕事にしか命を注いでいなかったのです。母子家庭なのでほぼ祖父母と一緒に過ごしていました。大黒柱の父はいなかったのです。母は一生懸命働いてたので応援したい気持ちもあったのですが、なんせ小さい頃は我儘だらけなのでそんなこと考えられる余裕なんて微塵もありません(笑)

忙しくて構ってくれなかった母を今でも少し恨んでいます。

忙しくて給料も少ない、ブラックな保育士職は一切魅力を感じなかったのです。

きっと、保育士の先生に本気でなりたいと思う人は物凄くいい先生に出会ったか、保護者もいい所に就職していたか、兄弟がいてお世話をしていたか、、だと思います。

少なくとも私は母が保育士で自分も保育士になるなんて考えはなかったのです。

次は2.海外の仕事に就く予定だったから についてお話をしたいと思います。

①について読んでいただきありがとうございました。実際に私自身が思ったことを書き記しているのでそういう事もあったんだ、程度に思っていただきたいです。よろしくお願いします。