気分転換

お題「気分転換」

 

私の中での気分転換は、突発的に『旅行に行く』ことです。

 

元々ひとりでどこかに行ったことは無かったのですが、病休になって色々考えた結果、行きたい時に行くのが1番の気分転換だと分かったのです。

 

GWは、コロナの制限が緩和し、新幹線に乗って博多に行ったり関西に行ったりあちこち飛び回りました。

一人で行くことがとても楽しくてわくわくして知り合いにもあって幸せな気分になりました。初めてであちこちしてたけど、出かけることの楽しさを味わいました。

 

帰りの新幹線も、見たことの無い新幹線や、いつも乗ってる新幹線、ここから先に行くともっと違うところに行くんだな、と考えました。

わくわくがとまらないGWでした笑

 

みなさんの気分転換はなんですか?

新しい気分転換の方法を知りたいので良かったら教えてください♡

連勤が終わりました

12連勤(その中の2日は研修とボランティア)を終えた私ですが、まだ仕事は終わってません。

七夕の製作準備、クラスだより、来月の指導案、デイリー…などなど

本当に保育士の仕事は休みがありません。

 

私が働いているところは公立園ですが、残業代は自己申告制。その自己申告も、結局たくさん残業しても必ずしもつく訳では無いのです。

暗黙のルールといいますか、みんなが申告すればいいんですが歴代申告をしておらずサービス残業という形になるんですね。

 

残業するにも理由がいるんですが、理由も何も書類が終わらない、環境整備が整わない、準備が残ってるなど、様々です。それを承認するかどうかは上司にかかっているのです。

 

12連勤を終えて思ったことはもう二度と2桁にのる連勤はするものでは無いな、と思いました。

 

連勤の中で吐き気や目眩に無理やり立ち向かい薬を飲まざるおえないくらい切羽詰まるこの職業は、忍耐力とよっぽどの精神力がないとやっていけないです。

 

子どもが好き、やりがい、それよりも大切なのは自分の体をいかにわかり、またそれを上司が考慮してくれるかにかかっているのです。

 

残業して、残業代がきちんと支払われる職場であればいいですが、そもそもの基本給と、残業代が見合っていないので体が不調になっても仕方がないのです。

 

補足ですが、公務員だからいい、ということは絶対にありません。公立保育士のほうが民間保育士よりもかなりきついです。そこに固執する必要は絶対ありません。

仕事、辞めます。

お久しぶりです。

この1年でたくさんのことがありました。

仕事のこと、恋愛のこと、これからのこと。

 

今年度で、今の職場を退職しようと考えています。理由は単純。

本当に今の業務量が金額に見合っていないのと、労働時間が過酷だから。

自主的に残っているけど、それって残業代支払われないのおかしいなって感じたからです。

体が資本の保育士が、この春、起立性調節障害になりました。なりたくてなった訳じゃなくて、もともと低血圧だった私が、遂に自律神経が乱れるくらい体を壊した、ということです。

子どもが嫌いなわけじゃないし、行くのが嫌な訳でもない。けど、体を崩して仕事をしたいかと言われたら全く思わないのです。(それが普通かもしれないですが…)

 

前に色んな人とお話する機会があって、話を聞いてきました。

『鬱になるまで、今の仕事を続ける必要がない』

っていうことです。私は、鬱にもなったし、不安障害、今では起立性調節障害

辞めることの勇気は、無駄にしたくないなって感じたのです。

保育士になってよかったこと②

前回は初めて名前を呼ばれて大喜びした話でしたね(笑)さ、今回もお話していきましょう。

 

2.「Mちゃんはリス組の先生になるっ」

 

Mちゃんは妙に賢くてでもちょっと意地悪で、とても可愛くて私は好きだったんですが慣れるまでにとても大変でした(笑)

2月、ぶくぶくうがいをする時に突然その子が言ったのです。

「Mちゃんはリス組の先生になる」

私はあまりの突然さに「え!?」と声を荒らげてしまったのですが、1年目の私にとってそれはかけがえのない言葉でした。

「どうしてなりたいの?」

と聞いたら今まで散々反抗していたMちゃんが

「○○先生がすきだから!!」

と言ったのです(笑)

この上ない幸せでした。忘れられない一言です。

私は物凄く嬉しくて、あ、こうやって将来の夢に繋がって行くんだなと感じたのです。

きっと、この一言はこの先も忘れることがないし、この1年怒涛の日々だったけどそれが報われた日だなと感じました。

他にも保護者の方から「先生聞いてくださいよ、この子、○○先生みたいになりたいって言ったんですよ」と、とても嬉しそうにお話をしてくださいました。

あるひとりの保護者の方がとても謙虚な方である日私に言ったのです。

「いつもいつもこの子を見てくださってありがとうございます。私たちよりも長い時間を過ごしてくださってることに感謝してもしきれません。来年も先生がいいなと心から思ってます。」

その一言は思い出すだけでも泣けてきます。

1年目でこんなことを言ってくださる保護者がいるんだ、私が毎日この子達に関わってきたことは間違いじゃなかったし、愛情をこれ以上ないってくらい注いできたのは大丈夫だったんだな、と再確認する言葉でした。

保育士になってよかったことは思い出せばきっと他にも出てくると思います。その中でも印象に残ったことは以上の2つになります。

嫌なことが多い職種でもあるけど、その分子どもが助けてくれることは間違いのない職種であると感じます。

魅力は伝えきれないけれどやってきてることは間違っていないと思うし、1度仕事を辞めたとしてもきっとまたこの職種を選ぶと思います。

だってこんなにも素敵な言葉を言われたら戻りたくもなりますよ(笑)

次は、また学生の頃に戻って【留学時代】についてお話をしようと思っています。

留学したことで得たこと、留学のときの思い出、パスポート事件など(笑)

ぜひまた次回もご覧下さいっ!

保育士になってよかったこと①

前回までは保育士になりたくなかった理由を①〜③までお話をさせて頂きました。保育士って給料少ないし精神的にやられるしやらない方がいいじゃんって私ですら思ったんですけど実は意外とそんなことも無いんですよ。

今回は保育士になってよかったこと2つをお話したいと思います。

1.クラスの子どもに初めて名前を呼ばれたこと

1年目、晴れて正規職員となり2歳児を受け持ちました。そのクラスは1歳の時から所謂問題児クラスでした(笑)最初の3ヶ月は子どもがなれるところか、「先生は嫌!」「あっちいって!」まるで彼女に振られるかのような日々を過ごしていました。メンタルが激弱な私にとって(あー、もう辞めたい)としか思ってませんでした。子どもに好かれないってことは保育士に向いていないんだとしか思わなかったからです。しかし、6月の中旬、毎日辛い日々が続いていたんですが、転機が訪れたのです。

外に出る際、靴下を履くのですが、靴下が履けなくて困っていた女の子。私は他の子をみていたのですが、周りに先生は私しかいない、ほかの先生は構ってくれないと分かったのでしょうか。

「(私の名前)先生」とその女の子に名前を呼ばれたのです。

人生で1番喜びました。初めてその日嬉し泣きしたのです。思い出すだけで今も泣けてきます。

その日からまるで人が変わったかのように毎日仕事に行くのが楽しくなりました。

この1年間は濃くて人生で1番充実していたと思います。

人懐っこい子どもも沢山いたしなによりわんぱくな子どもたちばかりでした。問題児クラスって言うけど確かにそういうこともあったし妙に賢かったから大人が顔負けすることもあったけど、私はこのクラスほど愛せるクラスはないと思っています。

3歳になった今も、子どもたちは「○○先生!」と駆け寄ってくれたり、中には「もう!○○先生聞いてよ!」とまるで友達のように駆け寄ってきてくれたりしてくれます(笑)

たくさんの事を色々と学び、1年目は本当に辛かったけどクラスの先生に1番助けられたので1年間はきちんとやり続けられたかな、と思います。

上司とは1年目の時は毎日のように戦ったり、文句行ったり、初めてにしては自分の方が問題児だったんじゃないかなって思います(笑)

次の記事では保育士になってよかったこと2つ目をお話したいと思います。保育士もそんなに悪くないしただの自己満でしかないけど、いいものだなって思って頂けたら嬉しいです。

保育士になりたくなかった理由③

①②を見ていただいてからご覧下さい。

さあ、最後の理由ですね。

3.給料と仕事が見合っていないから

保育士という職業はいわば【子どもの命を預かる】ことなのです。それに対して給料は初任給は20万もありません。バイトしていた頃の方が沢山稼いでたという友達も多くいました。

例えば、正規職員で働いていたとします。

自分がお休みの日に子どもが大怪我をしました。怪我をさせたのは臨職です。責任は誰にあるのでしょう。大抵の人は【臨職さん】と答えると思います。でも実際は違うのです。

正規職員が責任を取らないといけないのです。もちろん、臨職と正規のお金は違うし、責任の量も違います。正規職員でも責任は持っています。でもそれはプライベートを犠牲にしてまでということではないと思うのです。

私は以前園長に聞いたことがあります。「休み中に事故が起きた場合でも正規職員が責任を取るのですか?」と素朴な疑問を投げかけました。するとこう返ってきたのです。「自分が担当してるクラスだから責任くらいは持たないといけないよね、たとえ休んでいたとしても。」と返ってきたのです。確かに自分のクラスの子が怪我をしたら責任を持つのは自分、でも状況も何も知らないのに親にごめんなさいと謝るのと状況を把握して謝るのとではわけが違います。

危険と隣り合わせであるにも関わらず給料が低く、体調も、精神も日々削られて行くことを見据えていたからこそ私はなりたくなかったのです。

①でも書いたように母が憔悴しきっていた、の裏にはこういうことがあったのです。毎日精神的に気持ちを削られてそれでも日々生きていたのです。そんな辛い姿を将来の自分がなるってわかっていてなりたいと思いますか?

これが私が保育士になりたくなかった理由の全貌です。たまに、園に就職して聞かれることがあります。「どうして保育士になろうと思ったの?」

その答えはいつも表上は「母が保育士なのでなりたかった」と答えていますが裏では違います。「消えない職業で、安定しているから」です。もし、やりたいことが見つかったら私は直ぐに保育士を辞めると思います。ここに未練もなければ責任をもってまでやりたい職業ではないからです。

お世辞でも保育士になることをお勧めすることは出来ないですが、次回は保育士になって初めて良かったことを書きたいと思います。

(番外編で、短大時代の海外留学についても書こうかなと思ってます!)

きっと、保育士になりたい人は多くいるしその人を応援したい気持ちはあります。どうか、いい園に恵まれますように、ただそればかりを願っています。

【番外編】保育の短大時代について

現在私は保育士として働いていますが、事情があり今は仕事を休んでいます。それもまた別で書いていきたいと思います。

今回は番外編【保育の短大時代について】です。

保育の短大はどんな感じなんだろうと思う人も多くいると思います。結論からいうと【めちゃくちゃ大変】です(笑)

なぜ大変なのか、2つあります。

1.授業数が多い

2.実習がぎっしり詰め込まれている

これは短大の宿命なのかもしれないですね。

1.授業数が多い

これはそのままですが、普通の4大であれば、1年目に多く授業に出席すれば3年、4年はインターンや、バイト、遊びで済むと思います。ですが、短大の場合は通常4大の授業数を2年で修めないといけないので1日4コマ、5コマなんて当たり前でした(笑)

ちなみに、私が住んでたところから大学の通学時間は1時間以上でそれすらもとてもしんどかったのです。

なので短大生がバイトをするなんてほとんど不可能に近かったのです。(要領がいい子は上手にやっていたのですが、持病持ちの私は体力があまりなかったので出来ませんでした。)

特に保育は実習があります。

2年のうちで5回(保育園実習2回、幼稚園実習2回、施設実習1回)ありました。短大の思い出はなんですか?と言われれば【実習】です(笑)

2.実習がぎっしり詰め込まれている

短大の思い出それはいい意味でも悪い意味でも【実習】になります。なぜ、実習がいい意味でも悪い意味でもなすのか。

悪い意味では【いい実習園に当たる確率が半分だから】【保育の闇が見える瞬間だから】です。

いい園に当たる確率が半分なのは何故か、それは、実際に体験しないと分からないところばかりだからです。

私の大学は県内では有名な所だったのでいい園に巡り会える確率の方が高かったですが、ほかの友達は実習園で虐められたりそれをきっかけで保育士の道を諦めた子も多くいます。

保育の闇が見える瞬間、それは何故か。

私が初めに実習した園でとても良くしてもらった先生がいました。その当時は4歳の担任をしていて、まさに、先生が子どもたちを精一杯愛したからこそとてもいい子たちばかりだったと実感させられる実習だったのです。しかし、何がきっかけだったのか分からないのですが、休憩時間が終わり、勤務も終わり園長に挨拶に行った際、私に良くしてくれた先生が園長と二人で話しをしていたのです。しかも、その先生の目には涙が流れていました。

実際そこの園はみんながピリピリした状態であまりいいところではなかったのです。早く実習を終えたい気持ちでいっぱいでした。怖い臨職の先生に当たって八つ当たりされることも多くありました。(最後の日は厳しくしていた理由を教えてくれたのでスッキリして終えましたけど(笑))

色々なことが見える瞬間でしたねぇ、、

でも、実習は悪い事ばかりではありません。

私は幼稚園にとても恵まれました。

3歳クラスと4歳クラスにはいったのですが3歳クラスでは主任の先生が担当で指導方法、子どもの関わり方をみていたのですがなにもかもすごくてそこで得られるものは沢山ありました。ベテランっていうのもあったんですけどね……

4歳クラスでは2年目の先生が担当でした。実習でたくさんミスをしてその度に毎回泣いていたのですが、子どもたちはとても素直でした。子どもたちが「先生!遊ぼう!」「先生、これあげる!」と言ってプレゼントをくれることがほとんどでした。

中にはひまわりの種をくれた子もいました(笑)

保育士になるにあたって子どもの力は絶大だということが身に染みてわかった瞬間でしたね。

そんなこんなで、いろんなことがあってついに就職することになったのです。

次は保育士になりたくなかった理由③をお伝えします。