保育士になりたくなかった理由②
①を見て頂いてからこちらをご覧下さい。
今回はこちらについて詳しくお話をしていきたいと思います。
2.海外の仕事に就く予定だったから
え、突然海外?って思いましたよね(笑)何故、海外の仕事に就く予定だったのか、それは私の小さい頃からの習い事に関係してくるのです。
私が3歳の頃、母が「英語教室行ってみない?」とその一言がきっかけでした。私の時代は習い事ブームで、私は、ダンス、水泳、書道、英語、体操教室等、多くの習い事をしていました。
その中でも英語だけは高校に行ってからもずっと続けていた習い事のひとつです。
初めは幼児にもわかるような可愛い本の冊子で授業を受けていました。先生の友達である海外の大人の人とも関わることが増えていました。その時の思い出は未だに覚えています。
その時私は【きっと海外の道に進む】と小さい頃ながらに考えていました。基本的に個別で指導を受けていたので自分のペースで進んでいました。ただ、飽きっぽい性格だったのでずるをしたり、仮病を使ったり悪いことばっかしていました(笑)
毎週英語に行くのが嫌だってなってもなんだかんだ英語だけは10年以上も通っていたので相当好きだったんだと思います。
少し自慢話になるのですが、小学校の時の英会話は満点、中学の英語もほぼ上位、高校も上位をキープしていたくらいには英語だけはずば抜けて良かったのです。高校のスピーチコンテストにもでました(笑)
大学も英語専攻のところに行こうと考えていたのですが、事態は急変したのです。
私は大学で4年間通うよりも短大で学んで直ぐに就職してお金が入ることを目標としていたのですが、私が行きたかった英語科の短大がわたしが入る代で4大と合併することになったのです。
前回の記事にも書いてあるとおり私の家は母子家庭なのでお金に余裕など全くありません。
私立の4大にいくとなると多くの費用がかかり、奨学金返済も多くなってしまうので自分が苦しくなるのは嫌だと思い4大は最初から考えていなかったのです。
この時私は人生の岐路を選ぶ位置にたっていました。
この先、
英語の道に進むのか、安定した道に進むのか
高校3年の前期までめちゃくちゃ悩んでいました。安定した道を進むなら母がしている保育士になるしかないとこの時頭をよぎったのです。
高校の先生にも県外にいけば海外の学校は沢山ある。そっちも考えていいんじゃないか。と言われたこともありました。悩む理由は他にもあります。
【自分が英語で食べて行ける自信がない】
と思ったからです。特別秀才なわけでもずば抜けてるわけでもなかったのが段々と認識していったのです。
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祖父母や母からも「食べていける自信が無いのなら保育の学校に行くべきだ」と言われ、私は自分の意思に負けて行くことになります。
私はこの選択をしたとき正直なところ不服だったのです。なぜなら私は将来、海外の仕事に就く予定でいたからです。
特別な才能がないにしても好きなことをして自分を信じて進むべきだったと後悔してます。
なのでこの時も保育士になりたいとは微塵も思わなかったのです。
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次回は3.給料が仕事に見合っていないから
の前に私の大学時代についてお話をしたいと思います。そこで少しづつ保育士になっていくことを決意していくのでそちらもご覧下さい。
保育士になりたくなかった理由①
まず結論からいうと、私は保育士になりたくありませんでした(笑)
理由は3つあります。
1.母が保育士だったから
2.海外の仕事に付く予定だったから
3.給料が仕事に見合ってないから
どこにでもある理由かもしれないですね。
私がなりたくなかった理由を1つずつ話していきたいと思います。
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1.母が保育士だったから
何故、母が保育士だったからなりたくなかったのか。理由は簡単です。
【母が毎日仕事に行き憔悴している姿をみてたから】
母はもともと獣医になりたかったそうですが、大学の見学で子どもと触れ合うのが楽しかったみたいで保育士になることを決意しました。
確かに保育士になる理由の一つとして、大学の見学や、多くは子どもの頃に幼稚園や保育園の先生に影響されて等の意見があると思います。
母はそのひとつだったんですね。
なぜ、母が仕事に行って帰ってくると憔悴していたのか、理由は簡単です。
【ブラック保育園】だったのです。
毎日朝は7時には出て、帰ってくるのは酷いときで夜10時を超えていました。もう労働基準法の無視もいいところですよね。それでも母は5年もそこで働いていました。
毎日頑張っているのに給料は少なく、ましてや酷い時はボーナスなんてほぼないって言っていました。
そんな姿を目の当たりにしてるので【保育士になりたくない】と思うようになりました。私は逃げるように違うことに没頭し学生の時は数えきれないほど習い事をして飽きたらやめて暇な時は思い出す、みたいな日々を過ごしていました。
保育士の母親は子育ても上手でいい子に育っているんだろうというレッテルも貼られていました。確かに母は毎日仕事をしながらも家事をこなしていましたが、私は小さい頃の母との思い出はほとんどありません。思い出すのは母と喧嘩したこと、家出したこと、マイナスなことしかでてきません。それくらい小さい頃、母は仕事にしか命を注いでいなかったのです。母子家庭なのでほぼ祖父母と一緒に過ごしていました。大黒柱の父はいなかったのです。母は一生懸命働いてたので応援したい気持ちもあったのですが、なんせ小さい頃は我儘だらけなのでそんなこと考えられる余裕なんて微塵もありません(笑)
忙しくて構ってくれなかった母を今でも少し恨んでいます。
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忙しくて給料も少ない、ブラックな保育士職は一切魅力を感じなかったのです。
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きっと、保育士の先生に本気でなりたいと思う人は物凄くいい先生に出会ったか、保護者もいい所に就職していたか、兄弟がいてお世話をしていたか、、だと思います。
少なくとも私は母が保育士で自分も保育士になるなんて考えはなかったのです。
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次は2.海外の仕事に就く予定だったから についてお話をしたいと思います。
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①について読んでいただきありがとうございました。実際に私自身が思ったことを書き記しているのでそういう事もあったんだ、程度に思っていただきたいです。よろしくお願いします。